2008年12月8日月曜日

ワインの歴史とスイス3

(4)かなり間があいてしまってすみません。
swisswondernet.com に投稿しているワインコラムをメルマガにというコンセプトで考えていたのですが、ちょっと無理そうです。しかし、スイスのワインは紹介していきたいと思います。

まずは、歴史を完結させて、次にスイスワイン全体を紹介し、今コラムで書いている、各州のワインの紹介に順次移って行きたいと思います。

ワインの歴史とスイス3
15世紀頃、ワインの全盛期を迎えたヨーロッパであったが、その後量的には減少していった。まず打撃となったのがペストの流行だった。14世紀中頃から始まりヨーロッパの人口の4分の1を奪ったというペストは農業をも衰退させた。さらに30年戦争などの戦乱が拍車をかけた。そしてワインも量より質の時代を迎え、北方のブドウ畑は姿を消した。

歴史が中世から終わりを告げて、近代に入る頃、ワインも科学の恩恵を受けることになり、醸造学が確立していった。醸造学の父、パスツールは酵母の働きを解明し、顕微鏡で発酵中のワインを観察しただけで、その味を言い当てたという伝説が残っている。

それと呼応するように、記念的な当たり年、1811年が訪れ、丹念に作るワインの素晴らしさをヨーロッパ中の人が知ることになった。この年、その素晴らしさのため、エーベルバッハ修道院で「カビネット」ワインが生まれ、ドイツワイン格付けの礎となった。

続いて、1855年ボルドーワインの格付が行われ、ワインが輸出用の高級商品としての地位を築いて行くようになった。こうしたワイン文化の発達に陰を落としたのが、アメリカよりもたらされた病害虫フィロキセラだった。1860年代に被害が広がり始め、まずはフランスのブドウ畑が破壊される。わずか20年の間に、約百万ヘクタールのブドウ畑がフィロキセラによって破壊された。

スイスも19世紀末よりフィロキセラの被害に遭っている。この甚大な被害は、アメリカのブドウ樹が免疫を持っていたため、これを台木にして従来のブドウ品種を育てるという方法で徐々に食い止められていった。スイスのティチーノ州では、このフィロキセラ対策の為に輸入されたアメリカーノ種が、生食用に適している事から、生食用にも広く栽培されている。最近ではこれから造られる独特なワインも販売されている。アメリカーノ種の持つ独特な芳香が喜ばれ、ワインだけでなく、グラッパの原料などにも用いられている。

このフィロキセラの克服と時期を同じくして、現代のワインが生まれた。それはスチール製発酵槽の発明からであった。それまでのワインは出来不出来の差が激しくあった。同じ醸造者でも、発酵用の木樽が違えば味が違うというのが当たり前だったのだが、この発明によって品質が一段と向上、そして安定していった。

昔は、いい出来のものが逸品として王侯貴族に飲まれ、不出来のもの(こちらの方が多い)が一般庶民に出回っていた。それが現代ワインとなって、昔なら王侯貴族が飲んでいた、いい出来のものが一般庶民にも渡るようになったのだ。

さらに醸造学や栽培学が向上し、一貫した科学的な管理の元に、常に最良の品質のものが生産されるようになった。今や人に管理出来ない問題は天候を残すのみとなったとも言われる。しかし、天候の悪い年でも、醸造家は悪いなりに努力をして、生産量を落とすなどの犠牲を払いつつ、一定の品質を世に出すようになっている。

現代科学の恩恵はスイスワインも受けている。スイスのワイナリーを訪ねると、その醸造所にはスチールタンクが立ち並んでいる。そしてそれを熟成させる樫樽の熟成庫が続いている。スイスワインの代表ぶどう品種、シャスラで造られる白ワインは、きっちりと温度管理がされ、とてもフルーティに仕上げられる。それは恐らくは、昔なら王侯貴族でしか楽しめなかった味なのかも知れない。

余談であるが、あまりにも科学的な管理に抵抗を感じる醸造家もおり、昔ながらの木製発酵槽を使って、細心の注意を払いながら良質なワインを造ろうと努めている醸造家も少なからずいる。昔に立ち返ることも、醸造家の腕の見せ所となっているのだ。