2008年12月8日月曜日

ワインの歴史とスイス3

(4)かなり間があいてしまってすみません。
swisswondernet.com に投稿しているワインコラムをメルマガにというコンセプトで考えていたのですが、ちょっと無理そうです。しかし、スイスのワインは紹介していきたいと思います。

まずは、歴史を完結させて、次にスイスワイン全体を紹介し、今コラムで書いている、各州のワインの紹介に順次移って行きたいと思います。

ワインの歴史とスイス3
15世紀頃、ワインの全盛期を迎えたヨーロッパであったが、その後量的には減少していった。まず打撃となったのがペストの流行だった。14世紀中頃から始まりヨーロッパの人口の4分の1を奪ったというペストは農業をも衰退させた。さらに30年戦争などの戦乱が拍車をかけた。そしてワインも量より質の時代を迎え、北方のブドウ畑は姿を消した。

歴史が中世から終わりを告げて、近代に入る頃、ワインも科学の恩恵を受けることになり、醸造学が確立していった。醸造学の父、パスツールは酵母の働きを解明し、顕微鏡で発酵中のワインを観察しただけで、その味を言い当てたという伝説が残っている。

それと呼応するように、記念的な当たり年、1811年が訪れ、丹念に作るワインの素晴らしさをヨーロッパ中の人が知ることになった。この年、その素晴らしさのため、エーベルバッハ修道院で「カビネット」ワインが生まれ、ドイツワイン格付けの礎となった。

続いて、1855年ボルドーワインの格付が行われ、ワインが輸出用の高級商品としての地位を築いて行くようになった。こうしたワイン文化の発達に陰を落としたのが、アメリカよりもたらされた病害虫フィロキセラだった。1860年代に被害が広がり始め、まずはフランスのブドウ畑が破壊される。わずか20年の間に、約百万ヘクタールのブドウ畑がフィロキセラによって破壊された。

スイスも19世紀末よりフィロキセラの被害に遭っている。この甚大な被害は、アメリカのブドウ樹が免疫を持っていたため、これを台木にして従来のブドウ品種を育てるという方法で徐々に食い止められていった。スイスのティチーノ州では、このフィロキセラ対策の為に輸入されたアメリカーノ種が、生食用に適している事から、生食用にも広く栽培されている。最近ではこれから造られる独特なワインも販売されている。アメリカーノ種の持つ独特な芳香が喜ばれ、ワインだけでなく、グラッパの原料などにも用いられている。

このフィロキセラの克服と時期を同じくして、現代のワインが生まれた。それはスチール製発酵槽の発明からであった。それまでのワインは出来不出来の差が激しくあった。同じ醸造者でも、発酵用の木樽が違えば味が違うというのが当たり前だったのだが、この発明によって品質が一段と向上、そして安定していった。

昔は、いい出来のものが逸品として王侯貴族に飲まれ、不出来のもの(こちらの方が多い)が一般庶民に出回っていた。それが現代ワインとなって、昔なら王侯貴族が飲んでいた、いい出来のものが一般庶民にも渡るようになったのだ。

さらに醸造学や栽培学が向上し、一貫した科学的な管理の元に、常に最良の品質のものが生産されるようになった。今や人に管理出来ない問題は天候を残すのみとなったとも言われる。しかし、天候の悪い年でも、醸造家は悪いなりに努力をして、生産量を落とすなどの犠牲を払いつつ、一定の品質を世に出すようになっている。

現代科学の恩恵はスイスワインも受けている。スイスのワイナリーを訪ねると、その醸造所にはスチールタンクが立ち並んでいる。そしてそれを熟成させる樫樽の熟成庫が続いている。スイスワインの代表ぶどう品種、シャスラで造られる白ワインは、きっちりと温度管理がされ、とてもフルーティに仕上げられる。それは恐らくは、昔なら王侯貴族でしか楽しめなかった味なのかも知れない。

余談であるが、あまりにも科学的な管理に抵抗を感じる醸造家もおり、昔ながらの木製発酵槽を使って、細心の注意を払いながら良質なワインを造ろうと努めている醸造家も少なからずいる。昔に立ち返ることも、醸造家の腕の見せ所となっているのだ。

2008年11月16日日曜日

スイス・シャンパンをどうぞ

年末が近づいて参りました。忘年会、クリスマスパーティ、大晦日お酒を飲む機会も増えて来ます。ワイン、特にシャンパンはこの季節に飲まれる事も多いと思います。日本ではお歳暮で使われる事も考えられます。

そこで、スイス・シャンパンのご案内です。

シャンパン、Champagneという地名はスイスにも、フランスにも何ヶ所かあります。しかし、発泡酒にChampagneと名乗れるのは、フランス北部のシャンパーニュ地方に限られていて、製法がChampagneと同じだとしても、他のChampangeではChampagneを名乗る事が出来なくなっています。

スイスのChampagneもご存知の方が多いと思いますが、裁判に破れ、Champange産のワインなのにChampagneを名乗れません。

通常、シャンパーニュ地方以外のChampagne製法の発泡酒は、Method Traditionalか、それと同じ各国語訳の名称が付記されています。

スイスにもこの様な、シャンパン製法による発泡酒を作っているメーカーがあります。特に有名なのが、マウラー社です。発泡酒メーカーとして200年近くの歴史を持つマウラー社は、ヌーシャテル湖に面したブドウ畑を持ち、シャンパン作りに理想的な環境を持つヴァル・ド・トラヴェールでシャンパンを仕上げます。

あの、アブサンの故郷、トラヴェール谷はシャンパンにも適していたのです!

そのシャンパンは、上質なものが兼ね備える、細かい、そして息の長いあわ立ちを持ち、まさにスイス・シャンパン中のシャンパンといえます。

どうぞこの機会に、一度お試しくださいませ。

http://wine.umai.ch/

2008年7月6日日曜日

スイスワインコラム6

(6)ワインの色2

色の他に、ワインの澄み具合も評価にとって大切なポイントとなる。澄んだ色のしているワインは健全な状態を示している。もし、ワインに濁りがあった場合、まだ酵母を含んでいたり、異常発酵していたり、酸化していたりと、欠陥を持っている事が示されている。

ワインの色は時間が経つと、白の場合、金色から黄色、そして琥珀色へと変化していく。赤はルビー色からガーネット、そして琥珀色へと変化していく。ワインはどんな色であれ、やがて琥珀色に行き着く。その間に百年以上を要するのだが、これが千年以上経つと、この色素成分が沈殿してしまい、無色透明の液体になってしまう。赤ワインもやがて透明ワインになってしまうという訳だ。

ワインの色について、スイスの中でおもしろいのが、ティチーノだ。この州は赤ワイン用のメルローというぶどうで、ヴァン・ムスー、赤、白、ロゼのワインを造ってしまう。シャスラなどの白ワイン用のぶどうからは流石に赤ワインは出来ない。しかし、グリメンツで飲める氷河ワインは、熟成したものになると琥珀色をしている。この氷河ワインの原料ぶどうは白ワイン用のレゼというもので、酸味が豊富なワインとなる。この豊富な酸味によって長い熟成に耐えることが出来るのだろう。

ロゼでは、ヴァリス州のドール・ブランシュが明るいピンクで、やや紫がかる。ヌーシャテルが元祖のロゼ、ウイユ・ド・ペルドリはややオレンジがかったピンクで、サーモンピンクなどと表現される事が多い。その他、東スイス地区では、ピノ・ノワールを用いた、フェーデル・ヴァイス(羽根のような白)というワインを造っている。色は白からややピンクがかったものまである。現在、東スイス地区では、ピノ・ノワールからヴァン・ムスー、白、ロゼ、赤まで造っている。

2008年6月21日土曜日

スイスワインコラム5

(5)ワインの色1

ワインというと、赤、白、ロゼという色の分類がある。赤は通常ルビー色を基準として表現されることが多い。白は実際にはミルクみたいな白い色のワインは存在しない。透明から金色を基準に表現されることが多い。ロゼはピンク色が基準となる。従って、実際にはワインの色の基準は、ルビー、ゴールド、ピンクだ。ナチュラルなワインに、ブルーやグリーンの色のものは存在しない。

このワインの色は、白の場合、ブドウ液や発酵の結果、金色がかってくる。それに対して赤は、赤ワイン用の見た目に群青や紫といった色の皮を持つぶどうを使い、皮ごと発酵させて、発酵によるアルコール成分によって、色素がワインに溶け込み色づけされる。よって、赤色系のぶどうをただ絞ってワインを造れば、白ワインになってしまう。

例えばフランスのシャンパンなどは、通常赤ワイン用のピノ・ノワールという品種と、白ワイン用のシャルドネという品種を混ぜて造るが、ピノ・ノワールはただ絞ってブドウ液を取るだけなので、シャンパンの色は白ワインの様に明るい金色が基調となる。

赤ワインも注意深く見ると、明るいルビーから深いルビーまであって、またワイングラスの縁に紫がかった色を映すものと、オレンジがかった色を映すものとがある。白は透明に近い明るい金色から深い金色まであって、ワイングラスの縁に緑がかった色を映すものと、黄色がかった色を映すものとがある。ロゼは、ピンクを基調にやはり、やや紫がかったり、オレンジがかったりする。

白は通常金色の度合いが強い程、味が濃厚な(あるいは甘い)傾向にある。赤はルビー色の度合いが強い程、味が濃厚な(あるいは渋い)傾向にある。赤の場合、紫がかり、白の場合、緑色がかる色合いは、温度管理が行き届いた発酵をしているワインで、若いワインであることを示している。一方赤でオレンジ色がかり、白で黄色がかったものは、南の国などで、比較的高い温度で発酵したワイン、あるいは熟成したワインであることを示している。

この様に、色を見ただけで、そのワインがフレッシュタイプか、濃厚なタイプか、若いワインか、熟成したワインかなどが判断出来る。

スイスワインで、シャスラから造られる白ワインは大抵やや緑がかった明るい金色に造られ、アミーニュというブドウから造られる甘口白ワインは濃い金色をしている。東スイスで一般的なブラウブルグンダーから造られる赤ワインは、やや紫がかった明るいルビー色をするものが一般的で、南スイスのメルローから造られる樽熟成の赤ワインは、深いルビー色をしている。

2008年6月15日日曜日

スイスワインコラム4

ワインの歴史とスイス3
15世紀頃、ワインの全盛期を迎えたヨーロッパであったが、その後量的には減少していった。まず打撃となったのがペストの流行だった。14世紀中頃から始まりヨーロッパの人口の4分の1を奪ったというペストは農業をも衰退させた。さらに30年戦争などの戦乱が拍車をかけた。そしてワインも量より質の時代を迎え、北方のブドウ畑は姿を消した。

歴史が中世から終わりを告げて、近代に入る頃、ワインも科学の恩恵を受けることになり、醸造学が確立していった。醸造学の父、パスツールは酵母の働きを解明し、顕微鏡で発酵中のワインを観察しただけで、その味を言い当てたという伝説が残っている。

それと呼応するように、記念的な当たり年、1811年が訪れ、丹念に作るワインの素晴らしさをヨーロッパ中の人が知ることになった。この年、その素晴らしさのため、エーベルバッハ修道院で「カビネット」ワインが生まれ、ドイツワイン格付けの礎となった。

続いて、1855年ボルドーワインの格付が行われ、ワインが輸出用の高級商品としての地位を築いて行くようになった。こうしたワイン文化の発達に陰を落としたのが、アメリカよりもたらされた病害虫フィロキセラだった。1860年代に被害が広がり始め、まずはフランスのブドウ畑が破壊される。わずか20年の間に、約百万ヘクタールのブドウ畑がフィロキセラによって破壊された。

スイスも19世紀末よりフィロキセラの被害に遭っている。この甚大な被害は、アメリカのブドウ樹が免疫を持っていたため、これを台木にして従来のブドウ品種を育てるという方法で徐々に食い止められていった。スイスのティチーノ州では、このフィロキセラ対策の為に輸入されたアメリカーノ種が、生食用に適している事から、生食用にも広く栽培されている。最近ではこれから造られる独特なワインも販売されている。アメリカーノ種の持つ独特な芳香が喜ばれ、ワインだけでなく、グラッパの原料などにも用いられている。

このフィロキセラの克服と時期を同じくして、現代のワインが生まれた。それはスチール製発酵槽の発明からであった。それまでのワインは出来不出来の差が激しくあった。同じ醸造者でも、発酵用の木樽が違えば味が違うというのが当たり前だったのだが、この発明によって品質が一段と向上、そして安定していった。

昔は、いい出来のものが逸品として王侯貴族に飲まれ、不出来のもの(こちらの方が多い)が一般庶民に出回っていた。それが現代ワインとなって、昔なら王侯貴族が飲んでいた、いい出来のものが一般庶民にも渡るようになったのだ。

さらに醸造学や栽培学が向上し、一貫した科学的な管理の元に、常に最良の品質のものが生産されるようになった。今や人に管理出来ない問題は天候を残すのみとなったとも言われる。しかし、天候の悪い年でも、醸造家は悪いなりに努力をして、生産量を落とすなどの犠牲を払いつつ、一定の品質を世に出すようになっている。

現代科学の恩恵はスイスワインも受けている。スイスのワイナリーを訪ねると、その醸造所にはスチールタンクが立ち並んでいる。そしてそれを熟成させる樫樽の熟成庫が続いている。スイスワインの代表ぶどう品種、シャスラで造られる白ワインは、きっちりと温度管理がされ、とてもフルーティに仕上げられる。それは恐らくは、昔なら王侯貴族でしか楽しめなかった味なのかも知れない。

余談であるが、あまりにも科学的な管理に抵抗を感じる醸造家もおり、昔ながらの木製発酵槽を使って、細心の注意を払いながら良質なワインを造ろうと努めている醸造家も少なからずいる。昔に立ち返ることも、醸造家の腕の見せ所となっているのだ。

2008年6月8日日曜日

スイスワインコラム3

(3)ワインの歴史とスイス2

ローマ人がスイスにワインをもたらした経路は、ローヌ川沿いにのぼる水路と、イタリア北部アオスタからスイスの西部ヴァリス州マルティニィを結ぶ、グラン・サン・ベルナール峠を越える陸路、イタリア・ヴァルテッリーナ渓谷からシーザーも越えたというユリア峠を越えて東スイス・グラウビュンデン州のクールに至る陸路などが知られている。

こうしたスイスワインの下地を確実にしたのは、ゲルマン民族の大移動 によってケルト人をスイスの地から追いやったゲルマン人だった。ゲルマン人はローマを征服し、一時はワイン文化を衰退させたが、ゲルマン人がキリスト教化されるにつれて、ワインも復活されていった。

ゲルマン人によるワイン文化の定着と開花は、一代にして西ローマ帝国皇帝に登りつめたカール大帝に始まる。カール大帝はカロリング・ル ネッサンスの立役者でもあるが、ブドウ畑の拡大にも力を注いだ。当時のキリスト教教会や修道院はワイン醸造の技術を脈々と伝えていた。 ローマ教皇より西ローマ皇帝に戴冠したカール大帝は、キリスト教会を 保護し、その浸透と共にブドウ畑を拡大させて行ったのだ。カール大帝は世界の白ワインの心臓部、ライン地方を最初に目をつけた人物として も知られている。

教会や修道院のブドウ畑拡大はめざましいものがあった。一説によると、この独占的なワインによって、人々はワインを求め教会を訪れたとも言われる。ゲルマン人といえばビールが民族的な酒として知られているが、当時はワインの方がビールの消費量を上回ったという。ブドウ畑 は現代の北限を越えて北は北海まで達した。この当時はドイツ人さえ ワインが国民の酒だった。

ワインとして名前が知られている修道院には、何といっても、フランスのクロ・ド・ヴィージョ、ドイツのエーベルバッハなどがある。なおクロ・ド・ヴィージョの修道院は現存していない。スイスのザンクト・ガ レン修道院もブドウ畑を持っていた、当時は草分け的な修道院だった。 10世紀頃の記録として、品種改良が進み、貯蔵庫に収まりきれず、庭に樽を並べたとある。

スイスもこの時期に教会や修道院の指導のもと、ブドウ畑が作られていった。しかし、氷河谷とアルプスで成り立つ国、スイスでのブドウ畑開墾は大変な労力だったという。急峻な山の斜面を切り開き、石垣を 作ってブドウ畑を作る。それは厳しい自然との闘いでもあった。

世界遺産に指定されたヴォー州のラヴォー地区は、その姿を今も止めている。特にデザレを産する地域は傾斜がきつく、遠くから見るとその斜面は崖に見える。その崖を急峻な石垣状のぶどう畑に変えてしまったスイス人の努力には大変驚くものがある。デザレ地区の景観はブドウ畑としては世界屈指の美しさを称えている。そしてその名を冠したワイン、 デザレ・グランクリュA.O.C.はスイスを代表するワインとしても知られている。

ブドウ畑開墾の全盛期を迎えつつあった頃の1291年、スイスの建国 が成された。これはスイス原三州と呼ばれる3つの州、シュヴィーツ、 ウーリ、ウンターヴァルテンの各州が永久盟約を結んだ年で、これを現在のスイス連邦は建国とみなしている。因みにこの3つの州でもワインを生産しているが、生産量は極めて少なく、地元消費のみでスイス国内でも流通していない。

なお、スイスが正式に独立を認められたのは1648年のウエストファ リア条約によってである。それまでは、法律的には神聖ローマ帝国の皇帝直轄領だった。当時皇帝は、他の諸侯勢力の拡大を抑えるため、方々の都市に自由特許状を与え、自治を容認していたので、事実上は以前から独立していた。

2008年6月2日月曜日

スイスワインコラム2

(2)ワインの歴史とスイス1
葡萄自体は人類の文明以前に既に広範な地域で繁殖していたらしい。そ の葡萄を発酵させて飲み物を作ったというのがワインの始まり。飲むと 酔っぱらうから命の水とされ、特別な儀式などで飲まれたらしい。ま た、薬としても用いられた。原始的なワインはどぶろくみたいなもので、それにオリーブオイルやハ チミツ、はたまた海水までを加えて飲んだらしい。今のワインとは全然 違う。エジプト文明が栄えた頃に、ようやく透明なワインが造られ出し た。ギリシャ人もワインが好きだったが、この様な混ぜものワインにと 合わせて、生タマネギなどを食べていたそうだ。当時の食文化はかなり 辛口嗜好だったようだ。(まだ砂糖のない時代なので仕方がないといえ ば仕方がない)

この時代のワインを復活させたワイナリーがある。残念ながらフランス・ローヌ地方のワイナリーだ。
http://www.tourelles.com/article.php3?id_article=116

ローマ時代になると現代のワインに近いものが作られる様になる。紀元 前121年は空前の当たり年で、この年を境に混ぜものをしないワイン が飲まれるようになったという。ローマ人はワインの醸造に改良を加 え、発酵の温度管理や木樽による熟成などを開発している。現代ワイン の原形はローマ時代に築かれたのだ。この当時スイスはまだ国として存在していなく、ケルト人の住むガリア という地方の一部だった。ローマ人はガリアの征服を進めると共に、こ の地域にワイン文化をもたらした。これがヨーロッパにワインが伝わる 第一歩となった。

ドイツとスイスの間に横たわるボーデン湖の遺跡から古い葡萄の種が発 見され、トイトニカという野生葡萄品種だとわかった。これは4〜5千 年前のものとされている。このトイトニカはかの有名なリースリングの 原種なのだが、実際その時期のケルト人はワインを造らず、ただ葡萄 ジュースとして飲んでいたようだ。

ローマ時代に今のスイスの領土に住んでいたケルト人、ヘルベティー族 は、こうしてローマ人の影響によってワインをたしなむようになって いった。この頃をガロ・ローマ文化と呼んでいる。

ローマの初代皇帝アウグストゥスは北イタリアの優良葡萄を南スイスや 南チロルに移植している。このアウグストゥスが最も好んだというの が、イタリア・ロンバルディア州北部、スイス国境に位置するヴァル テッリーナだと言われている。今日の南スイス、ティチーノもローマ時 代の影響を今に伝え、優良なワイン産地となっている。

2008年5月28日水曜日

スイスワインコラム第1回

このコラムはスイスワインを中心として、時にはワインの鑑定、ワインの選び方、扱い方などを盛り込んで、ワインを紹介していくコラムです。まずは極初歩的なワインの知識から紹介していきます。

ワインはブドウから作られます。ブドウのジュースに酵母を加えると、ブドウの持つ糖分を酵母が分解し、炭酸ガスとアルコールにします。こうしてブドウのお酒、ワインが出来上がります。

ワインの原料となるぶどうは、西アジアが原産と言われていて歴史に残る諸文明に受け継がれつつ、ヨーロッパで開花しました。このヨーロッパに伝わりワイン用に特化していったぶどうが、今や世界中で栽培されています。

もう一つ、ヨーロッパとは逆方向、東に向かったぶどうは主に生食用に特化していきました。アメリカ大陸系と言われるぶどうは皮が薄く粒が大きく、デラウェアや巨峰に似た特有の香りを持っており、フルーツとして食べるのには大変適しています。

反対にワイン用のぶどうは粒が小さく、皮が厚く、香りもなく、食べても大しておいしいものではありません。食べ慣れない人がワイン用のぶどうを食べると下痢することもあるので注意が必要です。

ところが、粒が小さいぶどうは濃密で、ワインを造るにはうってつけなのです。ワインのあの素晴らしい芳香はワインになって行く過程で作られていきます。香りもなく、食べてもおいしくないぶどうが、ワインになると大変身するのです。

素材も大切ですが、ワインは醸造が命ということです。人しか素晴らしいワインは造ることが出来ない、そういう意味では自然の恵みというより、絵画や音楽の様に人の手による芸術作品とも言えそうです。

なお、スイスワインの主なブドウ品種、シャスラは粒がちょっと大きめで、流石に巨峰の様な香りはありませんが、甘みが強く、生でおいしく食べられます。秋になるとスイスのスーパーに生食用のシャスラが並びます。

2008年4月24日木曜日

ウイユ・ド・ペリドリ

ウイユ・ド・ペリドリ、シャトー・ドーベルニール 2006

スイスで有名なロゼワイン。ヌーシャテル州が本場。
ピノ・ノワールだけを用いて作るロゼで、ブーケにもフランボワーズの
香りが乗る。ウイユ・ド・ペルドリというのは山鶉の目という意味で、
山鶉の目の様なオレンジがかったピンク色をしている所から、この名前が
つけられている。

その昔、ブルゴーニュ地方のワインもこの様なロゼを産していて、
ウイユ・ド・ペルドリと親しまれていた。中世の頃のワインは、今の様に
深い赤に仕上げるのではなく、ロゼの様に造られていた。例えば、ボルドーの
ワインもキアレットと呼ばれる事がある。これはロゼという意味からきている。

ウイユ・ド・ペルドリは中世の味のするワイン。
このシャトー・ドーベルニール(ヌーシャテル州、オーベルニール)のものは
大変素晴らしい。私が今まで飲んだロゼの中で、1番をつけられる。
酒肉の厚さはぴか一。口に含むとまず十分な酸味を感じるのだが、次に芳醇な
香りと、酒肉の厚さが口の中を包んでいく。最後にはまるでクリーミィと表現
出来るまでとなる。余韻も長い。

久々の感激ロゼワイン。

2008年3月16日日曜日

Visperterminen Heida

このフィスパーターミネンという地区に、ヨーロッパで一番標高の高いブドウ畑がある。その一番高い場所に植えられているのがハイダというヴァリス州独特の葡萄品種。ちょっとナッティなブーケを持つ力のあるワインとなる。ラベルの絵は、このフィスパーターミネンのブドウ畑を描いたもの。急傾斜の斜面にテラス状のブドウ畑が切り開かれている。

2008年3月11日火曜日

ヴァロンブローザ゛・タンボリーニ ティチーノ州

Vallombrosa, Ticino DOC, Tamborini
ヴァロンブローザ、ティチーノDOC、タンボリーニ

メルロ種のぶどうで作られた赤ワイン。力がある。
タンボリーニはルガーノ周辺に沢山の自社畑を持っていて、その畑ごとに様々なラベルのワインを持っている。私はスイス赤ワインとしてはティチーノ・メルローが一番好き。

2008年3月5日水曜日

Zizerser Barrique

グラウビュンデン州のZizersという地区で栽培されたピノ・ノワールを
用いて、樽熟成させたワイン。グリンデルマイヤーさん一家が作っている。
東スイスのワインとしては、とてもよくがんばっている。ボディもあるし、
ブーケも複雑でなかなか素晴らしい。
                                  *
****************************************************************
* Noriyuki Takagawa, Bern,CH mail: nori.bern@swiss.wonderful.to*
* Takagawa family web : http://www.kouenkai.org/takagawa/

*
* Multiple citizenship: http://www.kouenkai.org/ist/

*
* Nori@bern web : http://swiss.wonderful.to/ *
* Mail Mag.: http://swiss.wonderful.to/mag.html *
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2008年2月28日木曜日

アブサン・ワイン

さすがアブサン発祥の地、スイス。
アブサン・ワインがある。
ワインの中にアブサンが入っている。
とにかく、強烈な味。

2008年2月22日金曜日

スイス源流のローヌ川とワインの旅

昨年の夏ですが、スイスを源流とするローヌ川を辿って、ワイン巡りをするという計画を立てて、車でまわって来ました。

ローヌ川はヴァリス州のローヌ谷奥部、フルカ峠の近くにあるローヌ氷河から発して、ヴァリス州、ヴォー州、ジュネーブ州(スイスワイン生産量上位3州、この3州をあわせただけで、スイス全体の7割弱に達します)を通って、フランスに入り、コート・デュ・ローヌ、プロヴァンス、ラングドックを育んで地中海に達します。フランスワインの起源は、ローヌ川河口近辺であり、このローヌ川を辿る事は、ワインの源流を辿るのと同じ意味を持ちます。

歴史的にも大変興味深い地域です。

帰路は、イタリアに入って、ピエモンテ、ヴァッレ・ダオスタを経由し、グラン・サン・ベルナール峠を越えてマルティニィに入りました。ピエモンテではバローロ地区を訪問しています。

このワイン旅行を紹介するWebサイトを立ち上げました。色々あって、半年もかかってしまいました。

サイトは紀行文、写真、概説からなっています。ご興味のある方は、どうぞお立ち寄り下さいませ。
タイトルは「南フランスとバローロのワイン巡り(2007/8)」です。

http://swiss.wonderful.to/wine/index.html

2008年2月21日木曜日

リヒテンシュタインワイン

スイスの隣国、リヒテンシュタイン公国。ここは小さいながらも立憲君主制でリヒテンシュタイン侯爵が元首。非武装中立らしい。といっても、実質的にはスイスが守っている。スイスは国民皆兵の武装中立国。

スイスに来るとびっくりするのが、いつも兵隊さんがうろうろしていること。民兵制度といって、国防は国民が担い、その反面職業軍人を置かない(空軍や教官は別)、ということで兵役につくスイス人が、臆面もなく軍服姿でうろうろしている。特に週末が多い。というのは、兵役中でも土日はお休みなので、みんな帰宅する。帰りがけに寄り道してビールなんか飲んでる輩も多い、軍服姿でだ。

因みに、兵役中は国から給料の80%が支給されるのだそうだ。スイスの国防費の割合が高いのも頷ける。兵役の兵隊さんに一月50万前後払っているんだから。(自衛隊の人、うらやましいだろう。笑、いや俺もうらやましい。)

リヒテンシュタインのワインは、リヒテンシュタイン候所有のワイナリー(国有ではない)と、その他民間のワイナリーとがある。双方合わせても輸出に回せる規模にはならない。

リヒテンシュタイン候は、首都ファドゥーツとオーストリーの首都ウィーンの北にワイナリーを所有している。この侯爵はハプスブルグ家の重臣だったので、オーストリーからハンガリーにかけて、結構土地家屋を所有したいるのだ。ビジネスの方もお上手で、ヨーロッパで一番金持ちの君主らしい。

ワインのほうだが、写真はファドゥーツ産のピノ・ノワール。フルーティで気軽に飲めるタイプに仕上げている。侯爵のワイナリーにはバリックものもあるのだが、オーストリー産のぶどうを用いている。こちらはなかなか力があっていける。値段も2000円程とお値ごろ。

スイスわいんショップでは、リヒテンシュタインワインは扱っていない。ベルンからワインを仕入れに行くには、ちょっとと・お・い・・・。

2008年2月17日日曜日

シュピーツワイン

シュピーツ産のワインが手に入ったので、飲んでみました。
リースリング・シルヴァネール

そんな高い値段でもなかった。ところが、いくらで買ったか忘れた。
20フランもしなかったと思う。

お店に1本しかなかったから、やはり入手は難しいらしい。

フレッシュ・フルーティといったタイプのワインでした。

2008年2月6日水曜日

700年前の味、ボッル・サルヴァニャン

Servagnin, Bolle
サルヴァニャン、ボッル
ヴォー州 赤
サルヴァニャンとは、ヴォー州の伝統的な赤ワインに許される名前。ピノ・ノワールを主に用い、ガメイの混醸が認められている。
このサルヴァニャンはピノ・ノワール100%。しかもこのメーカーはおよそ700年前にブルゴーニュからもたらされたピノ・ノワール品種をずっとそのまま栽培し続けている。現在フランスでは品種改良されたピノ・ノワールを栽培しているので、この様な古代品種ともいえるピノ・ノワールで作られるワインは大変珍しい。
700年前の味だ。
ブーケはおとなしく、華々しいフランボワーズの香りはないが、どっしりとした重みがあり、余韻が長い。
近年のブルゴーニュと比較すると、なるほど、その昔ブルゴーニュの名声を作り上げたのは、この葡萄品種だったからなんだと納得させてくれる。
ヨーロッパ中世の味を彷彿させる、このワインは、スイスワイン好きの方にはもちろん、それ以外の方にもお勧めです。
                                  

2008年2月3日日曜日

Beronia Gran Reserva 1991, DOC Rioja, Bodegas Bernia

価格が2000円のスペインワイン
ビンテージが1991年、17年前のワインが2000円
強烈だった。

で、1本買って早速試飲してみる。

少しピークを過ぎていた。色はオレンジがかった濃いルビー。
レーズンやチョコレート、バニラ、ハチミツ、ブルーベリーなどを
連想する複雑なブーケが何ともいえない。流石に熟成ワインだ。

熟成ワインの特徴、特に熟成香が綺麗に出ている。これはワインの
ブーケを学習する絶好のサンプルワインになるだろう。

味のほうは、バランスが良く、なめらか。余韻も長い。しかし、これが
あと数年前だったら、絶好調だったろう。

手数料2割、送料別で転売可能です。

2008年2月2日土曜日

写真はマルティニィ(ヴァリス州)

とりあえず、写真はスイスのもの。やはり最初くらいスイスで飾らないと。笑
下の写真はマルティニィからローヌ谷を眺めたもの。上の写真はマルティニィの隣で、ローヌ谷最南端のドメーヌ、フリィを眺めたもの。
マルティニィはローヌ氷河から発するヴァリス州のローヌ谷の終点に位置し、ここでローヌ川は直角に進路を変えて、やがてレマン湖へ姿を変える。
だから、ローヌ谷の入り口みたいなもの。マルティニィはAOCの指定ドメーヌをもたないのだが、ブドウ畑は沢山ある。その眺めの美しいこと!

ワインの事は、なんでも情報発信

スイスワインに限らず、のり@ベルンのワイン歴から情報発信していきます。
結果的に、スイスワインより他の国のワインが多くなるかも知れませんが、どうか
ご容赦の程を。